中坊進二が教える京都の街を流れる鴨川


各都道府県にはそれぞれ代表する河川が存在します。
私の生まれ故郷である長野県では信濃川がそれに当たります。
中坊進二の実家のある京都では鴨川が京都を代表する河川だそうです。

鴨川は京都市北区雲ケ畑の出合橋付近を起点とする淀川水系の河川です。
鴨川はよく日本の古い書記にも登場しますが「賀茂川」
「加茂川」と表記されていることもあり、
平安時代には平安京の東側を流れていることから
「東河」とも呼ばれていたと中坊進二は教えてくれました。

鴨川は今まで数々の水害を起こしてきたことでも有名ですが、
これは大都市を流れる河川としては勾配が急であることに加え、
平安京造営時に北山の木が伐採されたこと、
市街地の東への拡大に伴い河原が市街地化したことなどが
原因と中坊進二は言います。
時の白河天皇も天下三不如意の一つとして
鴨川の水の流れを挙げるほど、鴨川は度々災害を起こしていたようです。
この鴨川対策として、太閤豊臣秀吉は鴨川に沿って御土居、
1670年(寛文10年)には今出川通から五条通までの区間に
寛文新堤を築いて対策を取ったとのことです。
現代では1947年(昭和22年)に行われた西側に残る
水路(みそそぎ川)の高さから2m近く河道が掘り下げ、
五条大橋-塩小路橋間の京阪線の緑地帯を撤去して川幅の拡幅、
落差数十cmの堰を多く造ることで水害対策を
行っていることを中坊進二が教えてくれました。

今もなお、京都の街の東側を悠長に流れている鴨川。
これからも京都の街と共に発展していくことだろうと、
中坊進二は言っていました。