中坊進二と廻る新撰組のゆかりの地


京都を案内してくれた中坊進二に
「幕末好きだから、そのゆかりの地を案内してほしい」
という無理難題を言ったところ、
「じゃあ、京都の幕末を語る上で外すことのできない
新撰組ゆかりの地を案内するよ」
と言い、案内してくれました。

新撰組は1863年から1868年の約5年間、
京都守護職・松平容保のもとで京都の治安維持に努めた武装集団です。
新撰組以外にも京都見廻組という組織もいましたが、
新撰組との大きな違いは京都見廻組は全員武士なのに対して
新撰組は武士以外にも商人や職人なども隊士に含まれていた
所謂寄せ集めの集団であったと中坊進二は教えてくれました。
また、見回組が幕府直属の部隊に対して新撰組は幕府の支配下である
会津藩の預かりであったことも大きな違いだそうです。

新撰組は壬生にある八木邸と西本願寺を本部とし、治安の維持に努めていました。
中でも新撰組の名を世に馳せたと言われるのが、
倒幕派の志士たちが起こそうとしていたクーデターを
事前に阻止した池田屋事件ではないでしょうか。
この池田屋跡は現在は池田屋をモチーフにした居酒屋となっています。
(今回は時間が無くて、行くことができませんでした…)
ちなみに、居酒屋の前はパチンコ屋だったそうですが、
個人的には居酒屋の方がまだ雰囲気が出ている感じがします。

他にも新撰組と分隊した一派との内部抗争が起こったとされる油小路を案内してくれました。
中坊進二曰く、新撰組は戦闘よりも内部粛清で死んだ人間の数の方が多いと語っていました。

中坊進二が案内してくれたお陰で、
以前にも増して新撰組や幕末について詳しくなれた気がしました。